矢作川もの作りの史
2006年
油彩
F200号 (H193.9cm × W259.1cm)
315年ごろ、大和武尊が一万本の矢を作ったことから矢作川と呼ばれるようになり、その河口に799年、崑崙人が棉の実と棉打弓をもって漂着した。日本に初めて棉が伝わったその時だった。そして三河木綿を紡ぐ船紡績が1879年に矢作川中畑橋附近で始まった。船紡績の噂を聞いた若き日の豊田佐吉はわざわざ見学に来て、自動織機の発明のきっかけになったと語っている。世界のトヨタに至る最初の一歩が西尾にもあったことを誇りにしたい。矢作川流域はもの作りの聖地ともいえる。
2006年
oil painting
F200号 (H193.9cm × W259.1cm)